はじめに

このブログでは、「趣味の教養と雑学」をテーマに、歴史・古典を中心に書いています。

筆者が発行しているメールマガジンでは、教材を児童書に限定していますが、ここではそれにとらわれずに、自分の興味・関心にしたがいながら、教養・雑学の道を歩いていきたいと思います。

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未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪




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困窮する藩士、華美な藩主…元禄の生活伝える 書状300点を発見

豊岡藩:困窮する藩士、華美な藩主…元禄の生活伝える 書状300点を発見 /兵庫
6月13日16時1分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090613-00000180-mailo-l28


 豊岡市教委は12日、豊岡藩士が生活に困窮する様子を伝える手紙など元禄3〜8(1690〜95)年の書状300点が見つかったと発表した。
 同市日高町森山の飯田洋己さん(63)が、骨とう商から入手したびょうぶの下張りから発見。大石内蔵助の妻りくの兄で、豊岡藩家老の石束宇右衛門ら豊岡藩関係の約140人の名前が確認された。
 200石の郡奉行のもとに親せきから届いた手紙は「賄銀御察之通御座無候(まかないぎんおさっしのとおりござなきそうろう)」と生活費の不足を嘆き合い、上質の米1俵が銀14匁(もんめ)(約53グラム)でも売れないと訴えるものなど、武士の厳しい懐事情をうかがわせる書状は5点あった。
 その一方で、円山川改修を行うなど名君とされた二代藩主京極高住は、将軍綱吉の母桂昌院を江戸藩邸に招いたり、身分の高い人物を謡曲でもてなしたりと、困窮する家臣を尻目に江戸で華美な生活をおくっていたことを示すものもあった。
 市教委は「元禄時代はインフレで、米の価値も下がる半面、暮らしは華美になった。3万3000石の小大名の家臣の暮らしは楽ではなかったのだろう」と話している。
 市ホームページ(http://www.city.toyooka.lg.jp)の教育委員会のコーナーに書状の内容を掲載する。【皆木成実】

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福澤諭吉 人生の言葉

凡俗の俗言に耳をかたむくべからず




世の中というものはまことにオセッカイなもので、

自分に全く関係のないことでも、

人のやる仕事にとやかくの批評をしたがる。



それも正しい見方の、正しい批判なら又結構であるが、

多くはいわれなき非難、やっかみ半分の悪口になりがちなものである。



だから、そういう凡俗の俗言にとらわれていては、

何一つとして、本当の仕事は出来やしない。




藤原銀次郎『福澤諭吉 人生の言葉

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大相撲夏場所

稀勢の里5連勝!

出稽古解禁でついに大化けか?

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纒向遺跡 卑弥呼時代の建物群 王権の中枢か 奈良

纒向遺跡 卑弥呼時代の建物群 王権の中枢か 奈良
3月20日20時30分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090320-00000017-maip-soci


 ヤマト政権発祥の地で邪馬台国の「最有力候補地」とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で、女王・卑弥呼(?〜248年ごろ)と同時期の3世紀前半の建物群が見つかり、桜井市教委が20日発表した。一帯は大規模に整地され、柵で複雑に区画。柱筋は東西方向にそろい、三つの建物が計画的に並んでいた。こうした特異な構造は同時期では例がないといい、市教委は「王権の中枢施設の一角の可能性がある」としている。

 纒向遺跡は東西約2キロ、南北約1.5キロで、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳をはじめ、前方後円墳が誕生した場所。各地の土器が持ち込まれており、邪馬台国やヤマト政権との関係が取りざたされてきた。

 今回の調査地点では、78年度に柵と建物跡を確認。区域を約400平方メートルに広げ、今年2月から再度調査、前回確認した5メートル四方の建物跡と、これを逆コの字状に囲む柵列を検出した。柵列は更に北、南、東の3方向に延び、総延長は40メートル以上になるとみられる。

 この建物跡の東側で、東に延びる新たな建物跡(南北6メートル以上)を確認。柵の西側で見つかっていた柱穴は、今回の調査で建物跡であることが判明した。【林由紀子】

 ▽石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)の話 3世紀前半に、建物が方位や柱筋をそろえて計画的に並ぶ例は他になく、驚きだ。邪馬台国の有力候補地から見つかったということは高く評価でき、都の一端をうかがわせる。

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